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河川改修

雄物川改修事業計画

■雄物川改修事業計画平面図(大正3年策定)


■雄物川改修事業計画の内容

 大正3年に策定された「雄物川改修事業計画」は、「秋田市及び付近平野の水害を除去することを目的とし、併せて河口(土崎港)を改良するもの」とされ、以下の要点を備える。





改修事業計画の内容 期待される効果
① 河口から10km上流の新屋町で旧川を締め切り、同町西方の丘陵を 横断掘削して日本海に放流する放水路の掘削 雄物川本川洪水と旭川、太平川等の支川洪水を分離して支川それぞ れの洪水の解消と本川流下土砂の土崎港への供給停止による土崎 港の安定と水深維持
② 新水路から上流は左右岸の築堤と河道掘削及び水制などの施設の 設置 雄物川本川の洪水解消
③ 旧川締切堤に閘門を設ける 旧雄物川への小型船の航路確保
④ 旧川締切堤に洗堰を設けて旧川に分水する 旧雄物川と土崎港の水質保持
⑤ 旧川は幅50~91mにし、低水時1.5mの水深に浚渫する 船、筏航行及び旭川、太平川、草生津川の洪水解消
⑥ 土崎港の浚渫と突堤施設等の施工 沿岸漂流砂防止による港口維持と航深維持
⑦ 支川岩見川の合流点の整形と築堤 雄物川本川及び岩見川の洪水解消

■県費前納により工事に着手

 「雄物川改修事業計画」は成案翌年の大正4年、帝国議会において採択された。
 しかし、大正初期の不況に加え、第一次世界大戦の勃発などにより大正10年以降でなければめどが立たない」との」政府見解が有り、工事着工の雲行きが怪しくなった。ところがそこに「県の負担金を着工から4年間で前納すれば大正6年から着工する」という政府からの内達が届く。衆議院議員・井上広居や県知事・坂本三郎らは政府と県会の間を奔走し、「県負担金5年分納、大正6年から大正9年までは県費だけで、以降は国費」との案で決着をつけ、大正5年、帝国議会の採択を見た。
 大正6年9月、「雄物川改修土地収用事務所」が創設され、ついに事業はスタートする。その核である「雄物川放水路」は大正8年に開削工事が始められている。見積総額は当時で720万円。うち県が約192万円を負担、秋田市と近郊の村は約10万6千円を寄付している。




 
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