雄物川直轄河川改修百周年 > 概要:治水の歴史

治水の歴史

雄物川の治水の歴史

■江戸時代の改修

舟運の便を図り、度重なる洪水被害から領地を守るため、河道付替えを実施。

■玉川合流点下流の河道付替え
・雄物川本川と支川玉川が合流する神宮寺地点では、度重なる洪水被害を受けていた。
・大規模な治水対策として天明2(1782) 年延べ3万6千人余人を動員、2ヶ月で川を付け替えた。



■大正時代の改修

・明治 43 年 9 月洪水を契機に、河口~椿川地点を大正6年に直轄編入。
・秋田市及び付近平野の水害を除去し、河口に位置する秋田港(旧名:土崎港)の安定を図ることを目的とし、河口において放水路を整備。

■雄物川放水路の開削
・ 河口より約10km上流地点 (新屋)で旧川を締め切り、日本海に直接流下させる延長約2kmの放水路事業に着手(大正6 年)、22 年間の歳月をかけて、昭和13 年 に完成した。
・ この事業により、雄物川の洪水による、浸水被害が解消され、秋田港を中心とする臨海型の工業地帯が発展。

(写真提供 カドヤ写真館)



■昭和初期~中期の改修

・皆瀬川及び雄物川の氾濫被害は流路を幾度も変えながら洪水被害をもたらしたため、流路を固定させるため、横手市を中心に昭和18 年に国が河川改修事業を行う直轄区間に編入。
・昭和 26 年に沿川の主要都市である旧大曲市の市街地を直轄編入し、堤防と大曲捷水路(昭和 44 年完成)を整備。

■大曲捷水路の整備
・蛇行が著しく洪水被害が頻発していた大曲地区等中流部を直轄編入し、昭和28 年捷水路事業に着手、16 年の歳月をかけて昭和44 年に完成
・捷水路の完成により、浸水被害が減少し、市街地が約4倍(163ha→616ha)に広がり、地域の発展に大きく貢献した。



■昭和中期~平成の改修

・水系一貫の治水対策を目指し椿川地点~玉川合流点及び玉川を昭和 44 ~45年に、湯沢市街地が位置する皆瀬川合流点上流を昭和 54 年に直轄編入。
・早期治水効果発現を目指して輪中堤整備や固定堰等の改築を実施する一方、平成 2 年には玉川ダムが完成。
・現在、成瀬ダムを整備中。

■強首地区輪中堤の整備
・河川改修では整備着手が遅れた玉川合流点下流では、堤防未施工区間が多く、治水効果の早期発現を目的とした輪中堤による地先防御を実施
・上流部では洪水の流下阻害となる固定堰を改築


 
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