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明治19年、秋田県は、政府に対し雄物川下流部の改良を要望しました。
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政府は財政・技術面の困難から、これを受け入れませんでした。
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この間も洪水被害が多発し、懸命な働きかけにより、大正3年、ようやく雄物川下流部の改良計画が決まりました。
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大正6年の事業着手後も、第一次世界大戦・関東大震災・世界大恐慌などにより、工事費が減額されたり、期間が繰り延べられてきました。
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昭和13年4月 1,170万円(平成13年換算で約325億円)の工事費を投じて、放水路が通水しました。工事着工から22年、要望開始から半世紀がかかったのです。