当時の雄物川の下流部は曲がりくねり、毎年のように洪水による被害を受けていました。
低地は洪水の度に水びたしとなり、秋田市の発展をさまたげてきました。
秋田港(当時 土崎港)は、洪水のたびに流れてくる土砂のため水深浅く、大型船が着岸できずにいました。
舟で非難する住民
避難用小舟をもっている家も多くありました
大正12年4月洪水の様子((株)岩田写真 提供)
屋根に避難し、呆然とする住民
明治43年9月洪水の様子((有)無明舎出版 提供)