なつかしの雄物川

なつかしの雄物川

写真集「雄和に生きる」
雄物川
 町の歴史は、そのまま雄物川の歴史でもある。この雄物川は、生活水、かんが用水、たんぱく源の供給など多くの恩恵を受けてくれた。また、災害など多くの犠牲をもたらした。
 川船運送が全盛期の時は、米、木材、生活物資などすべてが船によって運ばれ、船は運搬の花がたであり、重要な位置を占めていた。
 由利・本荘地方の物資も、すべて新波を港として運ばれた。新波は水運の基地として栄えた町である。
 帆船は運送の手段として使われたの当時は、順風である白帆を張って上り、学風や無風の時は帆柱の上部に引綱を結び、船若勢が「エンヤ」「ホイ」と川べりの船衆小路を弾いてあがっている風景は、いかだ流しとともに雄物川の風物詩であった。
 しかし、陸蒸気や永久橋、鉄橋、陸路の整備と時代が流れ、今では、これらの風景も見られなくなった。
ここに掲載している写真・コメント等は旧雄和町(現秋田市)で発行した「写真集「雄和に生きる」から掲載したものです。なお掲載にあたっては、関係部局より承諾をいただいております。