なつかしの雄物川

なつかしの雄物川

水害を振り返る
 当時の雄物川は原始河川の姿をとどめ、堤防もなく、融雪や大雨の時は幾度となく氾濫を繰り返していました。特に岩見川、太平川、旭川などの支川の合流点がある下流部は、河川の蛇行が著しく本・支川とも頻繁に氾濫していました。
 雄物川は流域に住む人々にとって恵みの川であった反面、水害を引き起こす「暴れ川」としても恐れられていました。
明治43年9月4日((有)無明社出版提供)
屋根に避難する住民
昭和22年7月24日
雄物川本川が増水し、下流部の黒瀬橋が流失した
昭和22年7月24日
増水した旭川の濁流で壊れ、流失寸前の秋田市三丁目橋
昭和30年6月26日
支川、岩見川。破堤寸前の堤防を必死に守る水防団
昭和41年7月17日
秋田市、旭川。救助船による避難状況
昭和46年7月16日
秋田市、旭川。救命ボートによる避難状況
昭和50年7月12日
秋田市、大平川。ドラム缶を使った筏で
避難する女性
昭和50年7月12日
雄物川下流(河口部)。
洪水により流された流木等が堆積
昭和55年4月8日
雄和町、雄物川。集落が孤立し道路も冠水して
ボートで避難する住民
昭和62年8月17日
秋田市、旭川。仁別地区の道路が
洪水によって破壊された
昭和62年8月17日
秋田市、馬踏川。住宅地の道路に水があふれ、
住宅が浸水した況
昭和62年8月18日
協和町、雄物川。田や畑もすっかり冠水してしまい、
一面湖沼のようになった