昭和四十七年七月「米代川大水害体験」

二ツ井町梅内 藤田 定(五十五歳)


 「堤防が危険な状態です。ただちに避難して下さい。」「役場からの避難命令です。ただちにお寺に避難して下さい。」荷上場地区の下町から八幡町、仲町地域を車のスピーカーのボリュウム一杯に上げて叫ぶ。私は運転する。
 昭和四十七年七月八日午後十時頃、二ツ井町災害対策本部の指示は、「荷上場地区も危険、住民を避難させよ」だった。増え続ける米代川の水嵩に避難の勧告から命令へ強化、役場に集められた我々職員は、車による広報と同時に一軒々各家を回る。降り続く雨の中わずかな荷物を持って避難する住民が梅林寺に集まって来る。しばらくすると対策本部から「梅林寺も危ないので高校に変更」の指示が入る。移動、小さな子供や高齢者は大変、しかしお互い顔見知り、助け合いながら移動する。再度、一軒々各家を回るが家に残留を決め込んでる人もいる。危機を訴えるとようやくその気になる。
 深夜、車で荷上場館ノ下から御倉町を巡回、下町の国道にさしかかったとき堤防を越えて濁流が押し寄せて来た。水の勢いを後方に見ながら逃げる。今度は付近を「堤防が破れた」と叫んで回る。本部に報告のため二ツ井小学校前に行ったがグランドから溢れた濁流が滝のように道路を越えている。無理と判断して駅通 りに向かう。渡り切れるかの判断に迷う。勢いよく流れる濁流の中を向かう側から数台の車が渡ろうと試みる。最後尾の一台が途中でストップ、運転手は必死に逃げて来るが車はそのまま濁流に流されて行く。みるみる間に町一番の商店街が泥海に変わって行った。ただ茫然と眺めながら、これほどの惨状、無我夢中で走りまわった夜、夜明けを待ちながら死者のないことを祈った。
 私は町民課衛生係、廃棄物、水道、消毒、し尿対策が担当、翌日からは徹夜が続いた。



〒016-0121 秋田県能代市鰄渕字一本柳97-1
電話番号/0185-70-1001(代表)