昭和四十七年洪水について

二ツ井町上野 近藤 好雄(六十五歳)


 私たちは、昭和四十六年六月に今の場所に家を建てました。二ツ井高校グラウンドから五十メートル程離れた場所です。忘れもしません。四十七年七月九日の米代川災害の日。二日前から雨が降りっぱなしで、周りがまだ田んぼだったので、田んぼの水があふれ、道路にはドジョウがいっぱい流れてきていました。グラウンドも水であふれており、その様子を当時三歳と五歳の子供を連れて何回も見に行きました。
 そして三日目、サイレンが鳴り町の広報車が二ツ井高校に避難するようにと叫んで走っていましたが、当時家には半身不随の父がいたため、下の世話を考えて避難所には行かずに荷上場の知人の二階を借りることにしました。車に乗せるのも大変な父と子ども達を乗せ、知人宅に着いたその時、道路いっぱいに水と丸太がすごい勢いで流れてきて、間一髪でした。
 川から離れていると思った知人宅も土地が低かったので階段の上まで水が上がり、私たち家族は身動きがとれなくなってしまいました。トイレも使えず、水もなく、本当に困りました。避難所と違い、ごはんもありません。窓から外を見ると、向かいの家は屋根まで水に浸かり、近所の人達は船で避難していました。
 次の日、五十メートルも電線をつたって、食糧確保に向かいました。水も引いてきたので家に帰ったのですが、床上百センチも水が上がって、階下の家具や電気製品が全部使用できなくなり、大きなショックを受けました。水が出なかったことも大変でした。でも家族が皆無事だったのは幸いでした。
 親戚の協力もありましたが、落ち着くまでには何ヶ月もかかりました。その時の大変さは生涯忘れることはないと思います。私たちも若さで乗り切れたことと思い、今はあのような災害が二度と起きないようにと願っています。
 きみまち坂から見る二ツ井町の美しい川の流れや家々が濁流に飲み込まれないよう、三十年の時を経て、より一層思いを強くしています。



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