母なる川。四十七年七月。三十年前の米代川味曽有の大洪水のあの惨事を思うと、いかに天災とはいえ私ばかりでなく、恐怖を忘れられないと思います。
私は特に「薄井の築堤の破堤」のあの瞬間を直接この目で見ておりますので三十年後の今も印象深く脳裏に焼き付いているからかも知れないと思う。
破堤の瞬間を見た人は、私を含めて二〜三人程だと記憶しております(名前は思い出せません)。
破堤の時間帯は七月九日午前九時前後と記憶にあります。破堤箇所は米代川右岸築堤薄井地区。距離ほど二十八粁七百付近である。
破堤までいたる過程は、堤内地は上流荷上場地区の溢水及び破堤により水位 上昇しダムアップの状態にあった。なぜ私が破堤の瞬間を目にしたかは、実は私の家も床上約四十センチ浸水し、地獄状態(地獄状態は別
の機会に)にあったが家の中の水位が下がったのので川の状態を見るに行った時、偶然にも破堤の瞬間を目にしたものである。破堤の時の状況は、最初堤外側から築堤の流失が始まり、築堤の天端が約半分くらい流失した瞬間堤内の内水の圧力で一瞬にして残る堤内側の築堤が流失満水状態の内水が一気に勢いよく本川に流入した瞬間満水状態に浸ってあった家屋一軒があっという間に濁流に巻き込まれ流失する姿を目にした。これも一瞬の出来事であまりも早く時間にして三十秒足らずであったのではないかと思われる。
流失した家屋の持ち主には大変失礼ですが、幸か不幸かあの時破堤がなかったら二ツ井町の中心部の浸水した家屋が長期間浸水状態にあったのではないかと思えてならない。
仕事柄先輩から洪水の際、引き水は危ないから注意を怠るなと云われたことを思いだし、引き水の威力には唖然とし、あの一瞬の出来事の怖さをわすれようとしても水害から三十年たった現在も忘れられない心境です。
当時のことを振り返って見るに二度とあのような惨事には遭いたくないものだと云うことが実感です。
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