三日三晩やまずに降った雨。自然の恐さ忘れる事はできない。雨(水)は我々生物はなくてはならない大切な大切なものである。荒れ狂うと我々の生命財産を崩壊してしまう。
私は中川原農家に生まれ、六十六才の人間ですが、数多く水害を経験した。とにかく少々雨が降ると田畑が水に埋まったもので水田はもちろん畑まで魚がうようよで、取ったこと。そして父母は水に追われながら芋を掘ったこと。日吉神社のお祭りの七月十九日は水害厄日であった梅雨期には必ず水害があった。昭和二十三年の堤防決壊だと思う内務省予算の関係で同じ決壊の畑が二、三回も流れ、その跡地で私達中学生はよく、その砂原で遊んだことが今でも脳裏にはっきり覚えている。現在の国土交通
省は、このような事はありえない。四十七年の年は水が引いた後すぐ、復旧工事をして下さいました。もちろん私達農家も土地の提供に協力して現在の堤防が出来上がった。その後、水害と云う洪水がなくなった。しかし、いつかは必ず堤を越えるだけ大雨も考えられると思う。四十七年の様に、堤防の底を抜ける事はないと思う。鋼板でシッターの様に組んでいる工事であるから。しかし自然の力は誰にも分からない。現市町村の道路はどんな小さな道もアスファルト舗装で雨が降っても地下浸透しないからである。降った雨がすぐ川に流れるからである。全国の河川も堤防が完成して昔の様に遊水池がなくなってきている。しかし国土交通
省は、国民の声を聞き、色々と災害防止工事をして頂いている。今の森吉山ダムもその一つである。四十七年の洪水の時、素波里ダムの放流もあった様だが、自然の力は計りしれない。四十七年の決壊は真昼間で、死者が一人もなかった事が幸いであった。今後は、災害防止の工事はもちろん、情報が第一と思う。危険を感じたらまず、避難をすることである。
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