水害と治水事業の歴史

水害と治水事業の歴史

明治以前
●水害
 子吉川における最も古い水害記録は元和8年(1622年)の洪水です。その後の記録としては享保11年(1726年)、安永6年(1777年)、天明元年(1781年)があります。天明元年の洪水は上流から白ひげの老人が木にのって流されていくのをみたことから「白ひげの大水」とよばれています。

●主な水害(明治以前)
月日
被害状況
元和8年(1622)
不明
大洪水、人家及び田畑が流出
享保11年(1726)
7.6~13
6日から8日まで豪雨が降り続き、更に11日より13日まで大雨となり、大洪水となる。橋梁の流出多く上流から家屋がおびただしく流れ来る。
安永6年(1777)
7.7~12
7日~12日まで大雨が降り続き、洪水。流出家屋116戸。潰家135戸。
天明1年(1781)
5.27
由利郡内大洪水。橋垣、田畑の流出。山崩れで損害甚大。

●治水
藩政時代
流れを変える工事

子吉川 森子明法地区改修想像図


明治・大正

●水害
明治・大正の明治・大正の洪水は、明治24年に起こった子吉川の子川芋川洪水と明治27年8月洪水があります。

前代未聞の大洪水
(明治27年8月27日)
  前代未聞の大洪水
(明治27年8月27日)
出典:「静動」美倉町史(本荘市)   出典:「子吉川改修史」秋田河川国道事務所

●主な水害(明治以後)
月日
被害状況
明治24年(1891)
7.
19日早朝からしゅう雨の様な激しさで絶え間なく降り続いたために、午後1時頃から芋川が氾濫し始め、川筋の橋梁は全部流失した。又、源流の下川大内村では山津波が発生した。
明治27年(1894)
8.25
急激な洪水で本荘市一帯が浸水。浸水家屋2千余、死者21人、行方不明1人、流失家屋64戸、全潰35戸、半潰19戸、破損190戸、その他田畑の損傷等、由利橋が流失。

●治水
明治時代
明治27年、明治44年に出水があり、大正・昭和初期にかけて由利町森子地区で人力により土運びをして自力で築堤。国道108号現在この堤防上を走っています。


昭和・平成

●水害
近年の大規模な洪水は、昭和47年7月、昭和55年4月、平成2年6月に発生しています。

本荘市薬師堂にて救助をうける住民   大沢川の氾濫による本荘市市街地の浸水

子吉川本川の氾濫により本荘市川口地区の家屋等が浸水被害を受けた

●主な水害(昭和・平成)
出水状況
被害状況
昭和47年7月5日~9日
(断続した豪雨)
二十六木橋:最高水位5.91m
警戒水位4.00m
床下浸水 326戸
床上浸水 197戸
全 半 壊 1戸
農 地 1,827ha
昭和55年4月6日
(低気圧による雨と融雪)
二十六木橋:最高水位6.40m
警戒水位4.00m
床下浸水 134戸
床上浸水 68戸
全 半 壊 -戸
農 地 4ha
平成2年6月26日~27日
(梅雨前線)
二十六木橋:最高水位5.63m
警戒水位4.00m
床下浸水 20戸
床上浸水 40戸
全 半 壊 -戸
農 地 702ha
平成10年8月6日~8日
(梅雨前線)
(芋川)松本:最高水位6.11m
警戒水位4.00m
床下浸水 222戸
床上浸水 124戸
全 半 壊 4戸
農 地 498ha

●治水

 昭和8年の子吉川中小河川改修計画の策定により、昭和8年から15年までの継続事業により、子吉川は由利橋~明法地先、支流石沢川は合流地点~烏川地先までが整備されました。
 また、昭和46年4月一級河川の指定を受け、12月に定められた工事実施基本計画を元に、治水工事に取り組みましたが、昭和47年7月に大災害を受けたため、昭和49年7月に改修計画の変更を行いました。
 現在は洪水の安全な流下を図るべく、築堤、河道掘削、水衛部の護岸工事などを実施しています。

平成17年現在堤防整備状況